第 2 回クロストークミーティング報告
「COVID-19パンデミックから明らかになったグローバル・ヘルス・ガバナンスの課題」

コロナとこれからの社会を広く深く考える会


1 要旨
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1 要旨
開催日時:2023年2月15日 18:00~20:30
開催方式:ハイブリッド形式
対面会場:東北大学星陵キャンパス・臨床講義棟2階・臨床中講堂
司  会:坪野 吉孝(東北大学大学院医学系研究科微生物学分野 客員教授)
記  録:大友 英二(東北大学医学部医学科 3年)
参加者 :14名(対面4名、オンライン10名)

●全体構成
・話題提供① 押谷 仁(東北大学大学院医学系研究科微生物学分野 教授)
・話題提供② 植木 俊哉(東北大学理事・副学長 / 法学部 教授)
・話題提供③ 武見 綾子(東京大学先端科学技術センター グローバル合意形成政策分野 准教授)
・ディスカッション

 第2回クロストークミーティングでは「COVID-19パンデミックから明らかになったグローバル・ヘルス・ガバナンスの課題」というテーマの下、植木俊哉先生と武見綾子先生をお招きしてグローバル・ヘルス・ガバナンスの現状とその問題点について議論した。まず押谷仁先生から感染症とグローバル・ヘルス・ガバナンスの歴史やCOVID-19パンデミックで顕在化した問題点についての話題提供があり、続いて植木俊哉先生と武見綾子先生からそれぞれ国際法やグローバル・ヘルス・ガバナンスの基礎、及びその課題やパンデミック条約(仮称)に関する最新の動向について紹介された。最後に全体でのディスカッションに入り、パンデミック条約や今後の日本がグローバルヘルスの分野で果たすべき役割について議論が繰り広げられた。


2 本文

2-1 話題提供

●話題提供① 
押谷 仁(東北大学大学院医学系研究科微生物学分野 教授)


 世界保健機関(WHO)は第二次世界大戦後の1948年に発足し、1969年には「病気の国際的な拡散を防ぐための法的拘束力を持った合意」として世界保健規則(IHR)が採択されたが、このIHRは新興感染症への対応としては不十分なものであり、改訂作業が行われていた。しかし結局改訂作業が終わらないまま、2003年にSARS(重症急性呼吸器感染症)の国際的流行が発生した。この一連の事態を受けてWHOは2005年にIHRを改訂し、全ての公衆衛生の脅威に対応できるようにすると共に、国際的な脅威となり得る事態に対しWHOはPHEIC(国際的な公衆衛生上の緊急事態)を宣言できるようになった。にもかかわらず、2014年に西アフリカで発生したエボラ出血熱の大規模流行ではWHOはPHEICの宣言が遅れ、国際社会から強く批判された。この批判からWHOが新たな改革を行っている最中に、世界はCOVID-19パンデミックを迎えたのである。

 今回のCOVID-19パンデミックへの初期対応については、中国に配慮した結果PHEICの宣言が遅れ、その文面も本来書かれるべきリスクアセスメントに基づく科学的説明とはかけ離れたものになっているなど、中国に対するWHOの極めて政治的な対応が問題になっている。2020年1月23日にPHEICの宣言は見送られたが、後に2020年1月25日の時点で武漢に75000人を超える感染者が存在したと推計されており、WHOがリスクアセスメントに失敗したことは明らかである。これらは国連の専門機関としてのWHOの本来の役割を十分に果たしていなかったと言わざるを得ない。

 欧米諸国ではCOVID-19に対する初期対応に失敗し、その結果、おそらくヨーロッパにおいて「ヨーロッパ株」と呼ばれる株が発生した結果、COVID-19はコントロール不能になりパンデミックに陥ったと考えられている。この初期対応の失敗の原因として、ヨーロッパのリスク認識の甘さやトランプ政権によるアメリカCDCへの圧力など、欧米が持つ多くの問題が浮き彫りになっている。にもかかわらず、その欧米がパンデミック条約をはじめとした「パンデミック後の社会」のための議論の中心となっており、そこには自身らの対応の失敗に対する反省が生かされていない。果たしてこのままでパンデミックに強い社会を実現に向け前進することはできるのだろうか。


●話題提供②
植木 俊哉(東北大学理事・副学長 / 法学部 教授)


 今回のCOVID-19パンデミックではWHOに対する多くの批判が見られた。確かにWHOの対応には問題があったが、WHOに限らず国際組織は専門外の立場から過度な神格化、またはバッシングを受けやすいというのもまた事実である。だからこそ、国際組織への冷静で客観的な分析は必要不可欠である。

 そもそもWHOとは国連憲章第57条及び第63条で定められた、保健分野を担う国連の専門機関である。そのため現在「WHO改革」を求める声があるが、果たしてそれは既存の国連の枠組みの中で行う改革なのか、それとも国連の枠を超えた改革なのかが大きな論点となる。

 世界の国々はそれぞれが主権を持つ主権国家であり、その主権国家同士で結ぶ共通のルールが条約である。このルールが存在できる根拠は「参加した国に共通した利益」すなわち「国際公益」の存在である。これは「そのルールが自国の利益にならないならばルールに参加する必要はなく、かつルールに合意しない限りルールに構成されることはない」ことを指しており、多数決で行う国内の立法とは大きく異なるのである。

 以上を踏まえてパンデミックに対するWHOのあり方や国際法規範を考えたとき、既存の国際保健規則(IHR)はWHOが制定する国際組織の二次規則であり、国家間条約ではない。ではパンデミック対応に対する国家間条約を新たに作る場合、「その国際ルールによってすべての国の利益になるのか」がその本質となる。確かに共通のルールにより感染症の蔓延を抑え込むことはどの国にも利益になる。しかしそこには必ず政治的側面が介入し、結果として政治的対立が発生するとそれは国際社会の共通の利益とはいえない。そのためこのようなルール作りは極めて難しく、「だれがどのようなルールを作るのか」が課題となる

 現在、COVID-19パンデミックを踏まえたパンデミックへの対策のあり方を包括的に定めた国家間条約としての「パンデミック条約」の交渉、起草が進んでおり、2023年2月には”Zero draft”が公表された。ここでの大きなポイントは、この条約が起草、採択されても批准しない限りその国には強制力が発生しないという点である。特にグローバルサウスと先進国は利害が対立するため、双方がこの条約に批准し有効なパンデック対策を実現するためには、双方の立場からの利益のバランス、すなわち妥協点が求められる。これはパンデミック条約に特異的な問題ではなく、すべての国家間ルールに当てはまる話である。双方が強硬な姿勢をとる中で、適切な妥協点を見出すために今、日本の立ち位置が問われている。


●話題提供③
武見 綾子(東京大学先端科学技術センター グローバル合意形成政策分野 准教授


 COVID-19パンデミックは、国境を越える大規模感染症の対応には国際的な制度や枠組みが必要であることを国際社会に突きつけた。明らかになった数々の課題や問題点を踏まえ、既存の枠組みでは対処できなかった問題に適切にアプローチし調整を可能とする新たなメカニズムとして、様々な検討が進んでいる。例えば、「パンデミック条約」(仮称、以下パンデミック条約)に関する検討はその一例である。

 パンデミック条約は、COVID-19パンデミックを踏まえ、包括的な文脈でパンデミックへの対策のあり方を定めたものである。IHRが発生した感染症の情報の共有や直後の対応を主に取り扱ったものであるのに対して、このパンデミック条約はより幅広い分野にわたる視点からの対応を志向しているとされる。特に資材や情報へのアクセスやベネフィットシェアリングシステム、そしてワクチンや医薬品などに関する知的財産権保護義務の免除についての内容につき、具体的な提案が模索されている。

 しかしその一方で、この「条約」には多くの疑義や限界点も指摘されてきた。まず国家間条約という性質上、義務と履行確保について内在的にトレードオフにならざるを得ない部分があり、(基本的にはIHRの対象分野とはいえ、当初はパンデミック条約にも期待された)早期探知、早期介入など、インシデント発生後に本質的に課題とされたテーマへのアプローチは困難である。また、グローバルな課題を取り扱う性質と相まって、パンデミック対応にかかわる先進国の「反省点」まで十分に切り込むことはできない内容になってしまう可能性が高い。加えて国際的な協力を要請する分野においてはより一般的に協力へのインセンティブが不十分ではないかという指摘も存在する。今回のCOVID-19パンデミックにおける中国の初期対応には厳しい見方が多く、単に新しい「法律」や枠組みを作成するだけでは問題が解決しないのは明らかである。そのため新条約ばかりに頼るのではなく、サーベイランスや政治的プッシュ、複数のチャンネルによる複数の情報源からの問題の特定など、よりプラクティカルな措置と並行したアプローチが必要である。

 現在COVID-19パンデミックを経てグローバル・ヘルス・ガバナンスの形態は変化している。過去、特に感染症対応の文脈では前提とされがちであった「先進国が途上国を支える」という単純な構造は過去のものとなり、個々のアクターが各自のインセンティブを背景に独自のネットワークを強化するというより複雑な構造がより顕著なものとなっている。アクターの増加により国際的な対応のチャンネルが極めて多様化していることもこの構造変化と密接にかかわっている。例えば資金的な規模という視点からは言えばWHOの存在感はかなり相対化されていることも付言したい。
こういった文脈においては、WHOが中心的な役割を演じつつあるパンデミック条約が最も有効な手立てであるかについては、特に初期段階には意見の相違があったところである。当初ヨーロッパを中心とした各国がパンデミック条約を支持する一方、アメリカはWHOの役割の相対化や専門性の射程、権能上の課題を指摘した上でファンドと紐付けたガバナンス体の創設を主張しており、これに対しては中国・ロシアからの反発が見られた。これらの意見の相違には地政学的な背景の影響も強く、現在はより融和的な対策が取られようとしているものの、内在的には今後フラグメンテーションを起こす可能性も否定できない。このようなギャップの緩和にはG20主導のイニシアチブなど現在いくつかの事例で試みられているようにエビデンスに基づく政策決定プロセスやその情報共有が有効である可能性もあるが、その効果は未知数である部分もあり、今後の継続的な努力が必要である。

 今後のアクションポイントとして、多方面からのサーベイランスの強化が必要である一方、パンデミックが終わった後の体制強化と次なるパンデミックに備えた危機管理体制の継続が重要である。また、グローバルヘルスという限られた分野においてもその主導的な役割を果たすのがWHOのみに限定されない複雑な構図を呈する中で、他国への忖度や自国の体裁にとらわれず冷静に全体像を把握した上で効果的なアプローチを模索する必要がある。こういった点において日本は比較的強みがあると考えられることころ、これからの日本の立ち位置の明確化、そして日本としての実効的なアプローチが注目される。


2-2 質疑応答・ディスカッション
講師間でのディスカッション

●欧米に根強く残る感染症の「他人事」感
 欧米では未だに感染症をアジア・アフリカの問題とする見方が根強く、COVID-19パンデミックで初期対応に失敗してもなお自分たちの問題としてみようとしていない。この欧米が19世紀から変わらず持ち続けている固定観念を変える必要がある、との見解が述べられた。このような欧米中心主義は保健衛生分野に限らず現行の国連システム全体に見られるものであり、これはある意味国連の欠陥でもある。しかし現在数の上ではグローバルサウスが先進国を圧倒しており、少数派の先進国が多数派のグローバルサウスに押されるという構図も見受けられるため、先進国が被害者意識を感じているのも事実である。このようにパンデミックを経てパンデミック条約の交渉などパンデミック後の国際社会を築く上で、このCOVID-19パンデミックで本当に反省すべき点がずれてきていないか、慎重な検討が必要ではないか。

 このパンデミックを通じていわゆる「グローバル」と呼ばれる国連システムの対応が南北に分かれており、先進国の問題に文字通りグローバルにアプローチするメカニズムがあるわけではないという問題が明らかになったのではないか。特に先進国は自らの失敗を省みて、本当に必要な措置が何であったのかを考える必要がある。また、何が失敗であったのか、また何をなすべきであったのかなど、当初批判されていた問題に立ち返ることができる国際的な枠組みも求められている。

●役割が相対化しつつあるWHOについて
 グローバル・ヘルス・ガバナンスの複雑化に伴いプライベートアクターの力が増大し、WHOの相対化が進んでいる。これはWHOに限った話ではなく、WTOなど国連の専門機関全体に言える変化である。その上で、「専門機関だからレジティマシーがある」という考えは21世紀も続くとは到底思えず、これからの国際社会には国連システムそのものに対する多様なアクターが必要になってきていることを受け止めるべきである、との意見が述べられた。

 一方、多様な声をしっかりと拾い上げることができるのは専門機関の強みである。2000年代から言われ続けていることだが、強いプライベートアクターに対するある種のコントロールや様々な声を集められるメカニズムの確保が改めて必要になっている。この問題は単に新しい組織を設立することで解決するわけではないところ、ネットワーク間の相互関係の強化、および全体像の把握が求められる。このように、国際法や組織に限定されずより広い意味でガバナンスを捉える必要があるのではないか、との見解が述べられた。

●今後進めていかなければならないこととは
 今後本質的に進めていかなければならない点として、今回のパンデミックで明らかになった先進国の課題に目を向け、「何が問題でなぜできなかったのか」という欧米の反省を論じる必要があるのではないか、との見解が述べられた。

 加えて、国際社会に多くのアクターが登場しているのは事実だが、これはパンデミック前からの傾向であり、多くのシステムを作ってもなおパンデミック時には機能しなかったことを鑑みるとWHOが担うべき範囲は未だ広いと考えられる。この点について、WHOはリスクアセスメントとインプリメンテーションを分け、専門機関として、テクニカルエキスパートとして担う部分を明確にする必要がある。現在の様な「中途半端なWHO」では例えパンデミック条約があったとしても事態は変わらないだろう、との見解が示された

 その一方で、今起草が進んでいるパンデミック条約の着地点をどこにするのかも大きなポイントとなる、との指摘がなされた。1966年に採択された宇宙条約と対称的に1979年に採択された月協定が死文化していることからもわかるように、ある国が100%得をするルールは他の国にとってはマイナスになる。そのため欧米、グローバルサウスを含めたどの国も6割満足できるルールを作成することが望ましい。日本が欧米と途上国の橋渡しを担うことでなるべく多くの国が賛同できる条約を作り、社会を一歩でも前へ進めるべきだろう。


フロアディスカッション

●国際連合から独立した国際組織とは?
 国連の専門機関とは前述の通り、国連憲章第57条に列挙されている国連が責任を負う機関である。しかし現在、専門機関ではないユニバーサルな機関がないわけではない。その意味では、保健衛生の分野においても国連から切り離され技術面に特化した機関の存在というのは十分あり得る、との見解が示された。加えてグローバル・ヘルス・ガバナンスの領域でプライベートアクターの存在感が増す現在において、主権国家の政府だけでなくこれらのアクターがメンバーとなる国際機関も選択肢になるだろうと考えられている。

●ルール作成の期限を設け、その後は改訂を繰り返す、という方法は可能か
 パンデミック条約の必要性、また今般の情勢を鑑みた緊急性から、作成に期限を設けることでこの共通のルールをいち早く実現し、その後は適宜改訂を繰り返した方がよいのではないかという意見が出された。これに関して、実際に通常新たな条約の作成には目安となる期限が設けられるものであること、またIHRに関しては「改正のハードルを下げる」という改正がいち早く行われていることが指摘された。

 一方、パンデミック条約のような新しい条約を作る場合はその全体像や国際法の中での位置づけからまず決めなければならず、これが時間を要している大きな要因の一つでもあることが指摘された。これに対しては批判も多く、果たして完成するまで待つのか、それともある程度抽象化することで合意を取りやすくするのかはまさに議論されている点である。加えて条約は一度作られてしまうと改正のハードルが高いため、その枠組みだけを一度作り、その後COPのように年次会議を開きそのたびにルールを付加するという枠組み条約方式も選択肢としてはあり得るところであり、実際に現在検討されている。

●パンデミックの問題は安全保障の範囲にあり、専門機関たるWHOは専門分野に集中するべきではないか
 COVID-19パンデミックで明らかになった国際社会の問題は安全保障の分野に含まれるものであり、専門機関である以上WHOはより専門分野の仕事に注力するべきではないかという指摘があった。これについて、2014年に西アフリカで発生したエボラ出血熱の流行の際は、これが国連憲章の指す「平和に対する脅威」にあたるのではないかと国連安全保障理事会で議論され、UNMEER(国連エボラ緊急対応ミッション)を設置し患者の収容施設の設置に軍を運用したことがあるものの、このUNMEERの設置は実際には指揮系統が混乱し全く機能しなかったのが現場の認識である、との見解が示された。
 加えてこれは安保理常任理事国の利益に直接影響しないと理解された問題だからこそ安保理が動いたという側面もあるところ、今回のパンデミックのような常任理事国の利益に関わる問題ではここまでの対応は非現実的であり、そもそも安保理ではこのような問題は政治的に避けられる傾向にあるのが実情である、との指摘がなされた。

 なお、「安全保障」という単語は非常に多義的であり、今般のパンデミックに関連しても様々な用途や含意で使用されているため、パンデミックを安全保障の問題として捉える場合、果たしてそれはどのようなニュアンスでの「安全保障」に関わるのか、またそのフレーミングを使用することにどのような意味があるのかを考える必要があるとの意見が述べられた。例えば、「安全保障」という枠組みを用いることによってパンデミックの問題を「人類の存立基盤に関わる安全保障上の問題」として捉え、より特別な措置を要請したり、より横断的でハイレベルな調整主体や枠組み志向したりすることもこの一つの例である。

●最後に
 2023年1月20日に英国医学誌ランセットに公開された岸田文雄首相の論説(”Human security and universal health coverage: Japan’s vision for the G7 Hiroshima Summit”)では、G7広島サミットやG7長崎保健大臣会合を控え、日本が外交の主要な柱としているHuman security(人間の安全保障)や国民皆保険に代表されるUniversal Health Coverage(ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ)の2つを軸として日本政府が国際保健に貢献していく意気込みが述べられている。しかし、ここで述べられている内容に関しては、「Human securityとUniversal Health Coverageにこだわった時代遅れのものであり、COVID-19パンデミックを踏まえたものとは思えず、 実情の認識もWHOの持つ危機的なものとは乖離しているのではないか」との意見があった。これに関して、今回ご講演いただいた3名の講師よりコメントをいただいた。

 まず、「本来ユニバーサル・ヘルス・カバレッジと感染症の関係とは、2014年のエボラ出血熱の流行で問題になったように、医療の届かない地域でも医療資源へのアクセスを可能にすることである。そのため先進国の近代都市で壊滅的な被害が発生した今回のパンデミックの実情とは明らかに異なる。医療へのアクセスの問題に限って言えば、アメリカではトランプ政権がオバマケアを廃止したことで医療資源にアクセスできなかった人々が大量に存在しており、これがアメリカでCOVID-19の流行の検知が遅れたことにも関係していると考えられている。このような問題に踏み込まなければ現状は変わらない。またHuman Securityに関する議論も昔からされており、ではそれをどのように実際のパンデミック対策につなげていくのか、という内容がこの論説では不十分である」という見解が示された。

 その一方で、「先進国国内の不平等に対する批判や、安定的なヘルスシステムの保持という視点はパンデミック後のグローバルヘルスの文脈では相対的に置き去りにされやすいものであり、この論説ではそのいわばマージナルに見えるが重要な部分を、日本が長く投資してきたユニバーサル・ヘルス・カバレッジを用いて主張する必要があるとの観点に立脚しているとも読み取れる。ある意味では、日本という立場だからこそできる先進各国も含めた各国への警鐘という面があるのではないか。一方、今後は日本が得意としてきた保健とファイナンスとの関わりをより前面に押し出し、資金面での効果的介入の提案や、保健と財政との緊密な連携に基づくガバナンス体制を積極的に提案してくことも日本が実行できる政策や介入として有効だと思われる」との意見が述べられた。

 加えて別の視点として、「もちろんユニバーサル・ヘルス・カバレッジは優れているが、例えばアメリカとしては政治的に受け入れづらい部分があり、それをG7の場で強く推すというのは果たしていかがなものだろうか」、と疑問視する意見もあった。さらにHuman securityについても、日本はこれを20年ほど外交の看板にし続けているため、日本がCOVID-19パンデミック後の国際保健に積極的に関わるならば、このパンデミックを踏まえた新しい概念を提唱した方が良いのではないかという意見も見られた。

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